年長者の語りを聞きながらひと呼吸に3回くらい頷く若者
優しくされるのがいまいち苦手だ。
「優しさ」的なもの、嫌いではないし否定もしない。他者には優しくあろうと思ってさえいるのだが、自分にそれを向けられるのがどうにも居た堪れない。相手の貴重な時間と精神を自分のために使わせて申し訳ない気持ちになる。
この感情を言語化出来なかった幼い頃はムダに苦労した覚えがある。
大人になって、子ども時代ほど優しくされることはなくなったが、職場で一回りほど歳下の同僚と会話してて「ふ〜〜んそうなんですね〜」と、労わるように返事され身が竦んだ。会話を打ち切って全力で逃げたくなった。
いずれ歳を重ね、さらに優しくされる機会が増えたら心臓が持たないので、そのために足腰を鍛え健康を心掛けている。
くらうもの
どんな顔したらいいのか
あけましておめでとう。
正月2日目にして死にたくなった。
心を病んだり絶望して発する「死にたい」ではなく、食べ放題とかでお腹いっぱいになって「もういらないかも」ぐらいの、「生きなくても良いかも」な感覚。
この先、なにか良いことがあるわけないし、頑張ったところで報われるわけじゃないし。
働いて生活して、それが誰のためにもなっていないのなら、今ぽっくり死んだって誰も困らない。と思ったら引っかかるのが死に場所だった。
産まれるための設備や技術はあるのに、生き終わるためのそれらは手薄。海外に行けば良かろうが、貧乏ではそれもままならない。
どうにもならない状況で不本意な死を遂げ、家屋を傷め人心を害することは避けたい。そういう理由で今のところ特に目的もなく、ただ飯を喰うため生きている。
マイルドやん
中二、と括られるアレな年頃。
当時、方言キツイ地方に住んでいたが、転勤族ゆえ言葉から馴染めず浮いていた。
そんな時、親身になってくれたのがA先輩。
生まれた月が半年違うだけだったが、老成した振る舞いとネイティヴな方言使いでトロい自分をグイグイ引っ張ってくれた(と思ってた)。方言が上手いだけでとにかく尊敬に値した。
A先輩は大人社会で生きているため、だいたい上からだ。ちょっとした問いには「馬鹿、それは」だの「おまえ馬鹿」とフランクに答えてくれるので、この地域では、大人は親しくなると馬鹿馬鹿言うのだなぁと拝聴していた。
当時アレな年頃ゆえ、家庭内の事でうじうじ悩んでいたが、誰かに話すようものでもないと思い黙していたが、A先輩はそんな心の扉を開けと。
悩みがあるなら言えと此方の目線まで降りてきたので、家庭がアレで死にたい、とぶっちゃけたら「馬鹿おまえは恵まれてる」「俺なんかもっと苦労してるんだ馬鹿」の上からダブルパンチ(馬鹿付き)を喰らい、「今お前が死んだら…家族が苦労するんだよ⁉︎いいのか⁉︎」という斜め上な決め台詞をいただき、扱いに困ったので、扉はとりあえず閉めておこうと思いました。戸締り用心。
A先輩はその後、モテ期を経て同級生とステキな結婚をしたらしい。家族の絆とか大事にして暮らしているのだろうか。
疎遠になってしばらく経ってSNSとかやってんのかな(やってそう)と思ったけど、なんとなく面倒くさいので、検索とかはしませんよ。
暮れる
テレビを茫洋と眺めていたら、やれ年末特番だの仰るじゃないですか。
そういえばスーパーなぞ行きますと、金赤の煌びやかな御飾りで、やたらめでたい気配がいたします。
まったく乗り切れないまま一年が過ぎる。いやいや、ここ数年ずっとこんな調子なモンですから、おそらくここ数年、世間様の歯車にきちっと合わせて生きてなかったことと、反省したりしなかったり。
そういえば「かくし芸大会」てどこ行っちまったんですかね?
お正月、お参り行って挨拶行って、疲れたアタマで眺めてたTV番組。疲れてるからハードルだだ下がりで無条件に楽しかった覚えが御座います。
アイドル歌手が映画の真似事したり、芸人さんがガチなアクションしてみたり。
最近「あの◯◯が映画化」なんて派手にぶち上げて、結果大爆死しちゃうことがよく見られますけどね、
ああいうの「かくし芸大会」でやってたら、良かったんじゃないですかねェ?
30分くらいなら多分観ますよ。あとは寝ちゃうかもだけど。